北野天満宮 学問の神様・菅原道真公にお参りして成績アップ

本殿

受験シーズンになると大賑わいの天満宮。お祀りしているのは学問の神様として有名な天神・菅原道真。天満宮は全国にたくさんあります。歴史だけなら北野天満宮よりも古いところもあります。でも菅原道真信仰がこれほど有名になったのは北野天満宮があったからこそ。天神信仰の出発点といえる北野天満宮を紹介します。

京都御苑の西、今出川通りに面した北野の地に北野天満宮はあります。今出川通はたくさんのバスが走っているのでバスで行くと便利です。バス停・北野天神前を降りるとそこはもう北野天満宮の大鳥居が見えます。

鳥居の大きさには驚きます。でも、何よりも圧倒されるのは狛犬の大きさです。人間より大きな狛犬は見たことがありません。

大鳥居と狛犬

北野天満宮

大迫力の狛犬です。

楼門

楼門

長い参道には三つの鳥居があります。参道にはたくさんの撫で牛があります。大勢の方が撫で牛を触っていました。
その先には立派な楼門が建ってます。「文道大祖 風月本主」と書かれた額があります。菅原道真を讃えた文章です。

三光門

三光門

楼門を抜けると手水舎や赤目牛の像があり、その先には三光門があります。ここから先がいよいよ本殿のあるエリアになります。三光とは「太陽・月・星」の3つの星を意味します。でも三光門といいながらこの門には太陽と月しか彫られていません。御所から見ると三光門の上に北極星が輝いているから。夜空の星を合わせて三光なんですね。

本殿

本殿

三光門を抜けるとそこには菅原道真公が祀られている本殿が鎮西しています。京都有数の観光地だけあってすごい人出です。この日は天気はあまり良くなかったのですが、本殿をお参りしているときだけは青空になりました。「もしかして道真公に歓迎されている?」。おかげさまでとても気分良くお参りできました。

目次

菅原道真が天神になった理由

頭のいい学者だった道真

菅原道真は平安時代の学者兼政治家。子供の頃から頭がよく、朝廷の超難関の試験に合格。漢詩や歴史を教える文章博士になります。今でいうと日本最高の国立大学で教授のトップになったのです。詩や書道にも優れていたので宮中の行事ではひっぱりだこ。やがて宇多天皇の側近として仕えます。

的確な判断でアドバイスできる菅原道真は宇多天皇に気に入られ、ものすごい速さで出世していきます。ついには右大臣にまで上り詰めました。学者出身で大臣になるのは吉備真備以来、とてもめずらしいです。

優れた政治家だった道真

しかもただ頭がいいだけではありません。道真は讃岐国(香川県)の国司(県知事)を勤めた経験から地方の貧しさを知りました。庶民が貧しいのは税を集める仕組みが原因と考えて大胆な改革案をまとめます。菅原道真というと学問の神とか遣唐使を廃止した人くらいのイメージしかないかも知れませんが優れた政治家でもあったのです。

ところが道真の改革案にそれまで利益を貪っていた貴族たちは大反対。ただでさえ学者出身で天皇に気に入られて出世したので妬みをかってます。菅原道真を快く思わない人は大勢いました。左大臣・藤原時平を中心にした公家たちによって「自分の息子を天皇にして謀反を企んでいる」と訴えられ。大宰府に左遷になってしまいました。

道真は大宰府に行ったものの、ろくに給料も支払われず極貧の生活を強いられ病になって失意の中で亡くなります。

怨霊になった道真

ところが菅原道真の死後、都で様々な不幸なできごとが続きます。道真を陥れた藤原時平達が死亡したり時平の言葉を信じた醍醐天皇が病気になったり息子や孫が病死。京都で大火事がおきたり、疫病が流行しました。

公家たちは菅原道真が怨霊になったと考え、道真の官位を上げたり左遷の命令を取り消したりさまざまなことをしましたが効き目はありません。

そして御所の中心・紫宸殿に雷が落ちて大納言・藤原清貫らが死亡。落雷現場を目撃した醍醐天皇は恐怖のあまり体調を崩し3ヶ月後に死亡しました。

北野天神縁起絵巻

北野天神縁起絵巻に描かれる天神

天神になった道真

恐怖を感じた人々は菅原道真は雷の神=天神になったのだと恐れました。

さらに大宰府に道真を祀る祠が建てられ「天満大自在天」の称号が与えられました。

そして多治比文子という巫女の夢に菅原道真が現れ「我を祀れ」と神託が下ります。そこでもともと雷神を祀っていた北野の土地に菅原道真を祀る社殿が建てられました。これが北野天満宮です。

菅原道真は空海・小野道風と並ぶ日本三大書道家といわれました。詩歌の天才だったことから室町時代には詩歌の神と考えられました。禅僧の間で学問の神として崇拝され、やがて武士の崇拝も集めました。江戸時代に寺子屋が普及すると学問の神・書道の神としての人気が高まりました。そして現在でも学問の神として信仰されています。

こうして公家たちを恐怖に陥れた怨霊は人々の尊敬を集める学問の神様になったのです。

ご利益のなで牛

どこの天満宮に行っても牛がいますね。天満宮にある牛は臥牛(がぎゅう)といいます。臥牛を撫でると頭がよくなるといわれます。北野天満宮にももちろんあります。

天満宮に牛がある理由

天満宮に牛がある理由は菅原道真が丑年産まれだったから。とか、道真の命日が2月25日で丑の日だったからとか。道真の柩を運んだ牛が動かなくなったので、道真の意思を伝えたのが牛だったからなどの理由があります。

でも道真が天神と呼ばれていることと関係がありそうです。菅原道真は朝廷から「天満大自在天神」という称号を与えられました。怨霊の持つパワーが大自在天のようだと考えられたからです。もともと「大自在天」は仏教の天部の神でした。「摩醯首羅天(まけいしゅらてん)ともいいます。大自在天は白い牛に乗った神とされています。人々が「道真は大自在天になったのだから牛を従えている」と考えても不思議ではありません。

ちなみに第六天魔王こと他化自在天と名前が似てますが、大自在天と他化自在天は別の神様です。

参道の牛たち

参道に脇にある雌雄一対の牛は、体の悪いところを撫でるとよくなるといわれています。多くの参拝者が牛をなでています。

撫で牛

 

ちょっと小さめなメスの牛には子牛がいるの気が付きましたか?母親に甘える子牛が微笑ましい牛の像です。

撫で牛

こちらも参道にある臥牛。角が小さいので子牛ですね。

子牛

 

まだら模様のカラフルな牛も人気があります。
牛の像

まだらの牛と対になってるのは黒牛。黒光りする重厚な雰囲気がいいですね。

黒牛

赤目の牛

手水舎や宝物殿の近くにあるのが赤目の牛。参拝者からも人気です。この牛は珍しく目が赤くなってます。ちゃんと目玉が書き込まれている芸の細かさ。額には渦の模様があります。神秘的な能力を持つ特別な牛なんでしょうね。

目の色が赤いのはおそらく白牛をイメージしているからでしょう。仏教では大自在天は白牛に乗ってます。「天満大自在天神」になった菅原道真も白牛を従えていると考えられたのでしょう。つまりこの赤目の牛の像はただの牛ではなく「神の牛」なんですね。ご利益ありそうです。

「すごいんだぞ」って感じの誇らしい表情がいいですね。

赤目牛

 

一願成就のお牛さん

本殿の裏にある牛舎。絵馬かけの近くにあります。
こちらは「一願成就」のお牛さん。なでると一つだけ願いが叶うそうです。

一願成就の牛

いっぱい前掛けが被せられて既に牛の顔が見えなくなってます。そのくらいご利益があるということなんでしょうね。絵馬の数も凄い!

受験を控えた学生さんには大人気の北野天満宮。私は学生ではありませんが、大人になっても頭は使います。むしろ大人になってからの方が本当の頭の良さを試される事が多いです。あと、いい文章も書きたいですしね。良い文章が書けるようにしっかりお参りしてきました。

神社の情報

ご祭神 :菅原道真
参拝時間:
4月~9月 5時~18時
10月~3月 5時30分~17時30分
夜間ライトアップしているときもあるそうです。
住 所 :京都市上京区馬喰町 北野天満宮

公式サイト:北野天満宮

アクセス

駐車場:有り

京都市バス 北野天神前 すぐ
京福電車 白梅町駅より 徒歩約5分

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