今宮神社は京都市にある神社です。
平安時代からつづく神社のひとつです。古くは疫病を鎮める神様として京都の人々から信仰を集めました。
医学の発達した現代でも病気の流行は恐ろしいものです。次から次へと新しい病気が出て世の中を騒がせています。そんな病気から守ってくださるのが今宮神社の神様です。
江戸時代には産子(氏子)のお玉が、5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院になったことから「玉の輿」神社としても有名になりました。
みどころの多い今宮神社を紹介します。
今宮神社
祭神
本社
大己貴命(おおなむちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
現代の社殿は明治35年(1902年)建築。
疫社
素盞嗚尊
(すさのをのみこと)
現在の社殿は明治41年(1908年)頃建造。
今宮神社の由緒と歴史
創建年は不明。
平安遷都以前からこの地に疫神を祀る社があったといわれます。それが疫社の前身となります。
平安時代
延暦13年(794年)。平安京に遷都。
正暦5年(994)6月。朝廷は2基の神輿を造り、疫神を神輿に載せ船岡山で疫病退散を祈りました。紫野御霊会とよばれ、後に今宮祭になりました。
そしてこのとき、京都の町衆が神輿にお供して船岡山に登り、囃子にあわせて舞い踊り。病気を落とす人形を川に流しました。これが夜須礼(やすらい祭)の始まりです。
長保3年(1001)。疫病が流行。そこで朝廷は船岡山から神輿をおろして疫神を祀る社に新しい社を建て。三柱の神、大己貴命、事代主命、稲田姫命を祀り「今宮社」と名付けました。それが今宮神社のはじまりです。
鎌倉時代
弘安7年(1284年)。正一位の神階が贈られました。
室町~戦国時代時代
応仁の乱、その後の戦乱で社殿が焼失。
1593年(文禄2年)。豊臣秀吉が御旅所を再興。神輿を一基寄進しました。
江戸時代
元禄7年(1694年)。桂昌院が牛車や鉾を寄進、その他、神社や祭りの再興を行いました。元禄7年に前後して境内のいくつかの社殿が新しくなりほぼ現在の配置になりました。
そして今宮祭りは今も続いています。今宮神社のお神輿は非常に豪華です。もともと朝廷の行事で使われたので菊の御紋が入っており、八角形をした珍しい神輿です。また秀吉が寄進した大宮神輿には桐紋が入っています。
摂社末社
境内の摂社末社を本殿に近い順から紹介します。
織姫社(おりひめしゃ)
祭神:栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
御祭神の栲幡千千姫命は日本神話に登場する織物の神様。安産・子育ての神様としての性格もあります。
織物の神様ということで西陣の人々からの信仰も厚いようです。
本来は七夕伝説の織姫とは違いますが、七夕の織姫と一緒にされることもあるようです。
八社
様々な神様が並ぶ末社。
大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社が鎮座しています。
八幡社
八社の左(南)に位置するのが八幡社。
大将軍社
祭神:大将軍
陰陽道で包囲を司る神様。平安京を守る神として江戸時代までは大徳寺の門前に祀られていました。「紫野大将軍」と呼ばれていたようです。
社殿は元禄8年(1695年)ごろの建築。
日吉社
江戸時代後期の建築。
若宮社
祭神:天津彦火瓊瓊杵尊、高皇産霊尊
天応元年(781)。愛宕(おたぎ)郡鷹峯にあった阿多古(愛宕)社(御祭神は伊弉那美神)から分霊。疫神社の相殿にお祀りしたのが最初といわれます。
その後。大同5年(810年)の薬子の変で処罰された藤原薬子と藤原仲成の御霊を疫神社の相殿に合せてお祀りしました。
その後、今宮社となった際に境内末社として若宮社が移されました。
建暦2年(1212)。賀茂斎院が廃止された際に歴代賀茂斎王の魂が合祀されました。歴史とともに複雑を経緯をもつ社です。
現在の社殿と拝殿は桂昌院の援助で建てられたものです。古来より子宝・安産の神様として信仰されています。
地主稲荷社
祭神
倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
月読社の参道の途中から伸びる赤い鳥居が目印。
稲荷社となっていますが。もともとは今宮の地を守る土地の神様。
月読社
祭神:月読命
境内でもひときわ高い場所に鎮座するのが月読社。
現在の社は明治43年(1910年)に建てられたもの。
木々に囲まれた参道を登っていくと神秘的な感じがします。
紫野稲荷社・織田稲荷社
祭神
稲荷社:宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)
織田稲荷社:織田信長公。
境内の少し高い場所にあるお稲荷さん。
西陣元伊佐町にあった阿弥陀寺には織田信長の墓所がありました。天正13年(1585年)に阿弥陀寺は寺町に移転しましたが、跡地に織田稲荷社が建てられました。昭和62年(1987年)に現在の地に移しました。
宗像社
祭神:多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命
手水場の裏にあります。
土台にはナマズのレリーフがあります。
なまずは弁天の使いともいわれます。神仏習合時代に宗像社は弁天社ともいわれたので、なまずが神の使いとされました。
どこにあるのか探してみましょう。
境内のみどころ
阿呆賢さん(あぼかし)
疫神社の正面にあるのが阿呆賢(あぼかし)さん。
座布団の上に石がおいてあります。
心をこめて石を手のひらで撫で、その手で体の悪いところをさすれば回復すると言われます。
また「重軽石」とも呼ばれ。健康な人は、手のひらで3回石を軽く叩いて持ち上げて、重く感じれば願いがかなわない。軽く感じれば願いがかなうといいます。
桂昌院レリーフ
5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院。京都西陣の八百屋の娘・お玉は大奥に奉公にあがり徳川家光の側室になりました。家光亡き後お玉は桂昌院と名乗りやがて息子が5代将軍になります。
八百屋の娘が将軍の生母になった。ということで「玉の輿」の語源になったともいわれます(諸説あります)。桂昌院は江戸に行ったあとも故郷を忘れず、今宮神社や西陣の神社仏閣を援助しました。現在の今宮神社にも桂昌院の援助で造られた建物などがいくつも残っています。
拝殿
元禄7年(1694年)建築。
弘化3年(1846年)改修。
現在残る今宮神社の建築物の中でも特に古いのが拝殿。桂昌院が生きたのと同じ頃に建てられました。
中には三十六歌仙の額が飾ってあります。
寺社巡り
今宮神社へのアクセス
京都市営バス
46系統「今宮神社前」下車すぐ。
1・12・204・205・206・北8・M1系統。「船岡山」下車徒歩7分。
駐車場あり(有料)
公式HP:紫野今宮神社公式HP
住所:京都府京都市北区紫野今宮町21
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