與杼神社は京都市伏見区にある神社。
淀神社と書かれることもありますが、正式には與杼神社です。与杼神社とも書きます。
淀城の跡地にある神社です。淀城といえば鳥羽伏見の戦いの舞台にもなった場所。今はお城はありませんが石垣が残っています。そしてその跡地に與杼神社があるのです。
與杼神社はこの地域の産土神として信仰される一方で、水の神、水運の神としても信仰を集めました。桂川は京都に物資を運ぶ重要な革だったからです。ローカルな氏神かと思うかも知れませんが、平安時代からある由緒ある神社なのです。
そんな與杼神社に行ってきました。
與杼神社の境内
與杼神社の由緒
與杼神社はこのあたりの京都市伏見区淀・納所・水垂・大下津の産土神社です。
平安時代の応和年間(961年~963年)、千観内供(せんかんないぐ)という僧侶が肥前国佐賀郡河上村(佐賀県佐賀市大和町)にある與止日女神社(よどひめじんじゃ)から淀大明神(與止日女命)をお招きしたのが始まりだとされます。與止日女(よどひめ)は淀姫とも書きます。
しかし延喜式(927年完成)に山城国乙訓郡(京都市西部、長岡京市、向日市、大山崎町)の神社一覧に「与杼神社」があります。千観内供が淀大明神をお祀りする前からこの地に神社があったようです。初期の与杼神社は高皇産霊神をお祀りする神社だったのでしょう。
平安京が発展して淀川水系の水運が活発になると水の神である淀姫を祀るようになったのでしょう。
淀姫社、地名から水垂社ともいわれます。
桂川の水上交通を守る水の神として信仰を集めました
狛犬
社殿の前には歴史を感じさせる狛犬があります。
右側の阿の像
左側の吽の像
本殿
いよいよ本殿にお参りです。
御祭神は豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命。そのせいでしょうか参拝するところが3つあります。
かつては今よりも桂川に近い場所にあったそうです。川の工事が行われることになったので明治33年、淀城跡地になる現在の場所に移動しました。
現在の社殿は昭和55年に再建されたもの。というのも昭和50年の近所の少年の火遊びで燃えてしまったからです。かつては重要文化財になってたそうです。消失前の写真を見ると今よりも立派なのですが・・・残念です。
拝殿
拝殿は江戸時代の1649年に造られたもの。重要文化財に指定されています。
御祭神
他ではあまり見かけない神様なので紹介します。
水の女神・與止日女(よどひめ)
與杼神社の主祭神。
神社の由緒書には豊玉姫命(とよたまひめ)となっていますが、もともとは與止日女(よどひめ)と呼ばれていました。淀姫(よどひめ)とも書きます。
與止日女は神功皇后の妹といわれます。
また神武天皇の祖母・豊玉姫命だという説もあります。豊玉姫命は海神・綿津見神(わたつみのかみ)の娘なので海の女神です。
佐賀県に與止日女をお祀りする神社が多いです。もともとは九州北部で信仰された水の女神だったのでしょう。與止日女は水の女神ですから豊玉姫と同じと考えられたのでしょうね。
高皇産霊神(たかむすひのかみ)
古事記では高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と書きます。別名は高木神。
宇宙を造った造化三神の一柱。天照大神ら天津神よりも古い別天津神です。
天孫降臨神話では天照大神とともに神々に指示を出す神様として登場。高天原の天津神をサポートする長老のような神様です。天孫降臨した邇邇芸尊(ににぎのみこと)の母方の祖父。つまり天照大神と並ぶもうひとつの皇祖神です。
もともとは弥生時代から信仰されている「むすひ」の神。モノを生み出す神、生命力の源になる神様です。稲作にも重要な神様なので豊作祈願の祭祀でも高御産巣日神へ祈願されます。この地では古くから稲作が盛んだったようです。
「むすび」の神ということで最近は縁結びや家内安産の神様としても信仰されていますね。
速秋津姫命(はやあきつひめ)
日本書紀では水門神(みなとのかみ)、古事記では水戸神(みなとのかみ)といわれる八柱の水の神様のひとつ。伊邪那岐命と伊邪那美命から産まれた水の神様です。水門・水戸は川が海に合流する場所のこと。港(みなと)の語源にもなった言葉です。
大祓詞では川の上流にいる瀬織津比売神(せおりつひめ)によって海に流された汚れを海にいる速開津比売が呑み込むと書かれています。
速秋津姫命も淀姫と同じように船乗りに信仰された神様です。長岡京や平安京は淀川の水運を利用して全国から集まる人や物を運びました。水運の安全を祈願するため船乗りが信仰する神社が必要となったのでしょう。
摂社・末社
敷地内にはよく似た作りの摂社があります。
長姫社
赤い鳥居があるので稲荷社かと思ったら弁財天をお祀りしていました。
豊丸大明神
長姫弁財天の横には、豊丸大明神というお社があります。似たような作りです。
なんの神様かよくわからなかったのですが、狐の像があるので稲荷社のようです。
川上社
その他由緒はわかりませんが摂社末社があります。
日大臣社
稲葉神社
淀城の城主の祖先だった稲葉正成公を御祭神とする神社。
稲葉正成は戦国時代の武将。稲葉家の初代。春日局の夫です。
淀藩は城主がよく変わる藩でしたが、享保8年(1723年)。正成の子孫の稲葉正知が淀藩に来てからは城主が安定しました。稲葉家は幕末まで続きます。
現在の與杼神社はかつての淀城跡にあります。淀城城主を祀る神社も境内にあるようです。淀君のいた淀城とは別の城です。稲葉家が治めた淀城は江戸時代に造ったものです。
淀城の天守閣はありませんが、現在でも石垣は残っています。
堀の一部も健在。
お城好きなら行ってみてはいかがでしょうか。
與杼神社の情報
御祭神 :豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命
参拝時間:
住 所 :京都市伏見区淀本町167
電 話 :075-561-5556
公式サイト:與杼神社
アクセス
與杼神社に行くのは電車が便利です。
駐車場:
電車
京阪電車 淀駅より徒歩で約5分。
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