あなたはお礼参りしてますか?
神社やお寺でお願いをすることはのはよくあると思います。
そして願いがかなったら「お礼参り」に行きましょう。
なぜ、お礼参りが必要なのでしょうか?
お礼参りに行かなかったらどうなるのでしょうか?
意外と知られていない「お礼参り」についてお話します。
なぜお礼参りが必要なの?
人付き合いを思い出してください
あなたは人にものごとを頼んだあと、お礼をいいますか?
もちろん、お礼をいいますよね。
自分の都合でなにかをしてもらったのです。
なにかをしてもらったら、それにたいするお礼は必要です。
そうでなければ、「薄情なやつだ」「利用しただけなのか?」
と思われて人間関係は悪くなります。
次からは頼みごとを聞いてくれません。
お礼を言えば相手もいい気分になります。
次も引き受けてくれる可能性は高まるでしょう。
人付き合いではあたりまえのことです。
神様も人つき合いと同じ
神様はボランティアであなたを助けているわけではありません。
サービス業でやってるわけでもありません。
「お賽銭を出したぞ」とか「神社にお金を納めているぞ」と思うかもしれません。
お賽銭は気持ちを表すもの、感謝の気持ちを表現したものです。
神様への報酬ではありません。だから金額の大きい小さいは関係ないのです。
神社に納めるお金は神様との仲介をしてくれた方へ支払っているもの。神様が直接うけとるわけではありません。現代の日本では神様の居場所を維持管理していくためにお金がかかります。そのためのお金です。あくまでも人間社会の都合なのです。
でも、もういちど考えて見ましょう。
あなたの悩みはお賽銭や玉櫛程度のお金でつりあう程度のものででしょうか?
人間に同じ問題を解決してもらったら何十万、何百万とかかる。いえ人間では解決できない問題だって多いのではありませんか?
感謝の気持ちを伝えることはとても重要なことなんですね。もう一度お参りに行って「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えればいいのです。
そうです。感謝の気持ちを伝えるのです。
そうすれば神様も気分をよくしてくれます。
次から願いがかなう確率も上がるかもしれません。
べつに神社に無理してお金を納める必要はありません。もちろん、したければしてもかまいません。どのような形で感謝を表現するのかはあなたの自由なのです。
人付き合いと同じように気を使うこと。
それが大切なんです。
なんで神様に気を使わないといけないの?
ここまで読んで
「神様ってなんだか人間っぽいね」
と思った方。あなたは鋭い!
日本の神様はキリスト教やイスラム教の神様と違ってかなりゆるい神様です。
古事記を読めばわかると思いますが「本当に神様がこんなことするの?」と思うようなことだらけです。
きまぐれというか、おおざっぱというか、おおらかというか。
日本の神様はもともと自然を人格化したものです。人間の思い通りにならない自然現象は神の意思と考えられました。
全てのものには魂が宿る。人間も自然界にたくさん存在する魂のひとつにすぎない。と古代の日本人は考えました。
自然界にある魂がたまたま人の形をした肉体に宿ったものが人間だとしたら。人間が行っていることも神様が行っていることも似たようなものになってしまうのは当然かもしれません。だから人間界で相手が喜ぶと思うことが神様にもあてはまるのです。
他の宗教の神様との違い
日本の神様は、世界を作って管理している(と考えられている)一神教の神様とは全く違う性質です。
一神教にはお礼参りもお賽銭もありません。祈るだけ、神様を讃えるだけでいいです。それは洗礼を受けた信徒の魂は神様のものだからです。人と神との契約に基づいて神様は人間を守ってくださいます。ちなみにキリスト教の場合はアブラハムと神の契約が「旧約(Old Testament) 」、イエスと神の契約が「新約(New Testament) 」です。ユダヤ教やイスラム教ではアブラハムと神の契約の部分は共通ですが他は違います。
契約(神の教え)を守らない信徒をどうするかは神様の自由です。したがって契約(神の教え)を守っていればそれ以上の代償は必要ありません。契約の中には定期的に礼拝をして神様を讃え、自分が神様を信じていることを証明することもふくまれます。それをしない場合は天罰(神の制裁)が下ります。欧米の人(正確にはキリスト教徒)が「天使がやさしく私達を守ってくださいます」と言えるのも、神様との契約があるからです。
日本の神様には契約がありません。だから人は必要に応じて神様に代償を差し出してお願いを叶えてもらうのです。
魂を捧げて一生守ってもらうか、必要なときに代償を差し出して願いを叶えてもらうかの違いです。
お店に例えると、定期コースか、必要なときにその都度注文するかの違いです。
逆に言うと厳しくない分、きまぐれです。お願いしても願いがかなうとは限りません。むしろ最初のうちはスルーされてしまうかもしれません。神様の関心をあなたに向けてもらうためにも失礼のない方法でお願いするのは当然です。だから願いがかなったならお礼まいりをしたほうがいいのです。
お礼参りをしないとどうなる?
昔は願いをかなえるには大きな代償が必要だと考えられていました。だから大きな願いをするときには「生贄」を差し出していました。神道という言葉ができる以前。人々が自然は神様そのものだと考えていたころ。神様は見返りを求めました。願いをかなれるためには必ず代償が必要なのです。
神様はタダ働きはしません。
さらに、粗末に扱うと怒ります。それが祟(たたり)です。ずいぶんと人間的な感情をもってるのが日本の神様なのですね。
でも人間社会が成熟していくと命を犠牲にするのはよくないことだと考えるようになりました。神社に奉納する「絵馬」は昔は生きた馬を奉納していました。それが絵に描いた馬に変わったのが「絵馬」の始まりです。人柱の代わりに石を納めることもおこなわれていたようです。命の代わりに大切なもの。財産や食べ物を差し出すことで神様に納得してもらうようになったのです。各地に伝わるお祭りも、もともとは神様に感謝する行いです。
神様が求めているのは命でもなくお金でもありません。エネルギーです。あなたの願い、感謝の気持ちがエネルギーとなって神様に届くことで神様も元気になり、人々の願いを叶えてくれるのです。お賽銭やお供え物は感謝の気持ちを形にしたもの。願いを込めたモノなのです。だから気持ちがこもっていないお賽銭はただの物体です。それでは神様は喜びません。
神様に感謝の気持ちを表現すること。神様に喜んでもらうことで一年のご利益を感謝してまた新しい一年のご利益を願うというのがお祭りでした。だからお祭りは神社ごとに行っています。
祇園祭だって疫病の神様に機嫌をなおしてもらって病気が流行らないようにするためにやり始めたものなのです。現代では個人レベルで大きなお願いをすることはほとんどないでしょうから感謝の気持ちを伝えればよいと思います。
会社の経営が立ち直ったとか、大勢の人生を左右するようなことが達成されたときはそれなりの代償は捧げたほうがいいですが。個人レベルのお願いというのは規模はしれています。余裕があれば物やお金をお供えする程度でいいでしょう。
お礼をしないからといって災いが起ると決まってるわけではありません。むしろ神様がわざわざ仕返しをするのはほとんどないといっていいかもしれません。いちいち個人がお返しをしたかどうかチェックして、お返しがなければ制裁を加えるなんてことはしません。そこまで気にしていないです。
ただし、次にお願いしたとき相手にしてくれない可能性は大です。
神様の警告
神様はきまぐれです。
願いがかなっても、財産や物を失ったり、身内に不幸が起きたり。そういうことがないとは言い切れません。縁結びをお願いしてパートナーが見つかったのに別れててしまったとか。金運アップのお願いをして宝くじが当たったけど、破産したとか。
そういう人、まわりにいませんか?
でも見返りというより神様からの警告だと思ったほうがいいですね。せっかく願いがかなったのに感謝の気持ちをもたないで自分の力でできたと思いこんでいたら。神様だけでなく周囲の人への感謝も疎かになって人付き合いにも悪い影響がでているかもしれません。そのうち大きな失敗をしてしまうかもしれません。
神様はそうなる前に注意してくれているのです。
お礼参りをしないからといって、ぜったいそうなるわけではありません。でも何かあった時は気持ち悪いです。あとで後悔しないためにもお礼はしておくべきですね。
逆にそんなのしたくないというのであれば最初から神頼みはしないことです。
自分だけ得をして平気でいられる人はいつまでもいい思いをしていられるでしょうか。
重要なのは気持ちです。
「ありがとう」と伝えることが神様に気に入ってもらうための秘訣です。
自分がお願いされる立場ならどう思うか。
それを考えて行動するだけでよいのです。
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