岡山県岡山市にある吉備津神社は備中国の一宮。
古代には吉備国の総鎮守でもあった由緒ある神社です。吉備津神社のある地域は古代吉備国の中心地だった所。
吉備津彦の温羅退治伝説と、鳴釜神事でも有名です。最近は吉備津彦が桃太郎のモデルになったと紹介されているのでますます知名度が上がりました。
古代ロマンの漂う吉備津神社に行ってきました。
吉備津神社
御祭神
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
相殿神
御友別命(みともわけ のみこと)主祭神の子孫。
中津彦命(なかつひこ のみこと)主祭神の子孫。
千千速比賣命(ちちはやひめ のみこと)主祭神の姉。
大倭迹々日百襲比賣命(やまとととひももそひめ のみこと)主祭神の姉。
日子刺方別命(ひこさすかたわけ のみこと)主祭神の兄。
倭飛羽矢若屋比賣命(やまとととひわかやひめ のみこと)主祭神の妹
日子寤間命(ひこさめま のみこと)主祭神の弟。
若日子建吉備津彦命(わかひこたけきびつひこ のみこと)主祭神の弟。
大吉備津彦命。通称:吉備津彦命は第7代孝霊天皇の第3皇子。
四道将軍の一人として、山陽道に派遣され弟の若日子建吉備津彦命ともに吉備を平定しました。その子孫は吉備の国造になったといわれます。
創建
くわしい創建年は不明。
古代(おそらく弥生時代)より、中山がご神体として信仰されていました。
社伝によると。
大吉備津彦は中山の麓の茅葺宮に住み、281歳で亡くなって山頂に葬られました。5代目の子孫の加夜臣奈留美命が社殿を造営したのがはじまりと伝えられます。
日本書紀によると。
聖武天皇が吉備に行幸したとき。大吉備津彦命の業績をたたえて5つの社殿を造影したのが始まりともいわれます。
承和14年(847年)。朝廷から従四位下の神階が与えられました。翌年には従四位上になりました。
仁寿2年(852年)。神階が品位(ほんい)に変わり、四品になりました。
10世紀ごろには一品になったといわれます。
延喜式神名帳
備中国賀夜郡 吉備津彦神社 名神大。
古代には吉備国の鎮守。
律令時代に吉備国が備前・備中・備後に分けられると備中国一宮になりました。また分霊が備前・備後にも祀られました。そのため吉備総鎮守。三備一宮ともいわれます。
参道の松並木
JR吉備線(桃太郎線)の吉備津駅を出るとすぐ目の前に参道が伸びています。
真っ直ぐに伸びる松並木を歩いていくと10分程で到着しました。
吉備津彦と温羅の戦いのあと、矢置石
境内の入り口には大きな岩があります。
社伝によると。
その昔。吉備津神社の北西8キロの新山に温羅(うら)という鬼神がいて、凶暴で庶民を苦しめました。そこで大吉備津彦(吉備津彦)が吉備の中山に陣取って弓矢を討ち合いました。
大吉備津彦と温羅の矢が空中でぶつかって落ちたところが矢喰宮(現在の矢喰神社:岡山県岡山市北区高塚)。戦いの後、大吉備津彦はその矢をこの岩の上に置きました。そのため矢置石というそうです。
吉備津彦が陣を置いた中山と温羅が本拠地にした新山(現在の鬼ノ城付近?、鬼ノ城は飛鳥時代の城ですが)の距離は約8キロあります。その間で合戦があったのでしょうね。矢喰宮あたりは激戦地だったのかもしれません。
吉備津神社に参拝です
石段を登ると北随神門が見えてきました。
拝殿。
現在の拝殿は本殿とともに室町時代に建てられたもの。
明徳元年(1390年)。後光厳天皇(ごこうごんてんのう)の命をうけて室町幕府第3代将軍・足利義満(あしかが よしみつ)が建てました。
正月なので大勢の人がいます。
本殿。比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)という珍しい形です。吉備津造ともいいます。入母屋造が二つ連なったような姿が独特ですね。立派な社殿ですね。
本殿は国宝です。本殿は神社建築のなかでも特に大きな建築物です。
本殿の奥の階段をのぼると一童社があります。
学問と芸術の神様 一童社
御祭神は菅原神(道真)・天鈿女命。
学問・学芸の神様。江戸時代の国学者も参拝したとか。
進学を目指すと思われる人の参拝が多いですね。
写真では切れてしまいましたが、社の手前には「祈願トンネル」があって。このトンネルに願いを書いた絵馬を吊るしてトンネルをくぐって、社に参拝すると願いが叶うと言われます。大勢の人が行列を作っていました。
でもなぜに「一童」なんでしょうか?
岩山社
中山の山腹にある摂社。
吉備国の地主神をお祀りしています。
御祭神:建日方別命(たけひかたわけ のみこと)
国生み神話に登場する神。伊邪那岐命と伊邪那美命が日本列島を作ったときに産まれた吉備児島の別名。児島の神格化だといわれます。
児島は現在は陸続きになっています。江戸時代以前は島でした。吉備津神社とは児島湾を挟んで海の反対側にあったわけです。児島にも國津神社があって建日方別命がお祀りされています。
児島を拠点にして吉備地方の海を治めていた豪族が信仰していた神様だったのかもしれません。吉備津彦や温羅よりも古い神様なのですね。
えびす社
回廊の途中にあります。
商売繁盛・家業繁栄の神様。
回廊
全長360mもある長い回廊がさらに続きます。
自然の地形をいかした造りでゆるやかに傾斜しています。
天正7年(1579年)再建。県指定の重要文化財です。
三社宮
左から春日宮、大神宮、八幡宮が並んでいます。
本宮社
長い回廊の奥にある社です。
安産・育児の神様として信仰されています。
本宮社:孝霊天皇(第7代天皇・大吉備津彦命の父)
新宮社の御祭神:吉備武彦命(若日子建吉備津日子命の子)
内宮社の御祭神:百田弓矢比売命(大吉備津彦命の妃)
吉備津神社のパンフレットには「吉備津彦の父母神をお祀りします」と書かれてあります。
明治時代までは本殿・本宮社・新宮社・内宮社・岩山宮が吉備五所大明神といわれました。
現在は新宮社と内宮社は本宮社に合祀されています。
滝祭神社
宇賀神社
吉備津神社と道を挟んで反対側には神池があります。
神池には朱色の社があります。宇賀神社というそうですが、稲荷神をお祀りする社があります。境内案内によると吉備の国最古の稲荷神だそうです。
一般に宇賀神は人頭蛇神の神で表現されたり弁才天と一緒にされることが多いです。
稲荷神を宇迦之御魂神というように。古代には「ウケ・ウカ」は食べ物を意味しました。稲荷神と宇賀神は同じ神と考えられることはあったようです。
古代の御神体
吉備津神社の裏手には中山がそびえています。
かつてはこの山がご神体だったともいわれます。この山頂付近には中山茶臼山古墳があります。この古墳は前方後円墳で吉備津彦のものと言われます。古代には山をご神体とし、後の時代に麓に社殿が造られるのは古い神社によくみられます。古代の信仰がもとになっているので神社の創建年代はわからないのが普通です。それだけ歴史があって由緒ある神社なのですね。
今回は時間の都合で訪問できませんでしたが。今度来た時は吉備の王が眠る御陵まで行きたいです。
アクセス情報
鉄道:JR吉備線(桃太郎線)吉備津駅下車 徒歩約10分。
駐車場あり。
住所:岡山県岡山市北区吉備津931
公式HP:吉備津神社
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