京都市右京区太秦に蚕の社があります。
蚕ノ社の語源となった蚕養神社は木嶋坐天照御魂神社(木嶋神社)の境内にあります。
木嶋神社といえば、三柱の鳥居が有名ですが。
ミステリアスなお稲荷さんがあったり、三井家とゆかりの深い神社でもあったりとなかなか奥深い神社でもあるんです。
御利益さんや御朱印集めしてるひとには、ちょっと(かなり?)近寄りがたい雰囲気のミステリアスな場所です。
三条通に面したところにあるのが一の鳥居。
この石灯籠が見えたら。もうすぐです。
立派な石の鳥居があります。
現在は太秦地区の氏神ですが、平安時代には伏見稲荷、石清水八幡宮と同じように賑わっていたといいます。
養蚕業だけでなく、織物、染物業の人たちからも信仰されています。
手前に走っている線路は京福電鉄・嵐山線(嵐電)。
嵐電・蚕の社駅を降りたら鳥居が見えます。
すっかり住宅街になっている参道を200mほど歩くと。
木々に囲まれた木の鳥居が見えてきました。
木嶋坐天照御魂神社
入り口には神社の名前を記した石碑が。
左には「蚕神社」とあります。木嶋神社の境内に蚕養神社があるのです。
境内は森に囲まれています。
敷地のかなりの部分が木に覆われています。そのせいで境内はちょっと暗く感じます。
手水舎があるけど、水が使えません。
すぐ側には方位を示した石が。
木々にかこまれて奥へ進むと拝殿があります。
森に囲まれて行き止まりの様に見えますが、拝殿の奥に本殿があります。
初めて来たら本当にあるのか不安になるかもしれません。
更に森の中に入っていきます。
ありました。本殿です。
提灯の明かりが点いてるように、このときはあたりは薄暗くなっていました。
ここから後の画像はデジカメの感度を上げてとっています。
NIKON P7100。ISO感度400。露出補正+0.3。搾り時間1/15秒。
縮緬(ちりめん)組合奉納の石板
本殿石垣には「文化十四年 西陳 縮 縮緬仲間」の文字が入った石板があります。
江戸時代の文化14年(1814年)西陣にある縮みちりめん(縮緬)業者の組合が奉納したもののようです。縮みちりめん仲間は小さな業者の集まりのようです。
京都の名産として西陣織という織物は有名です。西陳と書いて「にしじん」と読むこともあります。
木嶋神社本殿
奥に本殿があります。
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祀ってます。
もとは宇宙を造った神様ですが、こちらでは学問、祓いの神としても信仰されています。
蚕養神社(こかいじんじゃ)
本殿東(右手)にあるのが蚕の社といれる蚕養神社。
5世紀ごろ秦氏は山背の国(京都府南部)に移り住んで来ました。最初は紀伊郡(京都市伏見区深草のあたり)に住んでいましたが6世紀ごろ秦氏が葛野郡(京都市西京区、中京区太秦のあたり)に移り住んできました。秦氏は養蚕、織物のの技術者を連れてこの地に移ってきました。その後、京都西部は養蚕、織物、染色の一大産地となります。この地に織物の祖神を祀ったのが蚕養神社の始まりと伝わります。
三井家の祖先を祀った神社が境内にあった
蚕養神社は呉服屋を営む三井家も信仰していました。
1751年、境内に三井家祖先・三井高安夫妻を祀る「顕名霊社」が建てられました。
明治以降、紆余曲折を経て現在は東京の三囲神社に移されています。
1831年に木嶋神社の三本鳥居を再建した際には蚕養神社を信仰していた三井家も援助したようです。
明治になって東京の三囲神社に木嶋神社の三柱の鳥居をモデルにした三柱鳥居が立てられました。三囲神社の三柱鳥居は井戸を囲むように三本の鳥居が立っています。三井を象徴するにふさわしいと考えたのでしょう。
三柱の鳥居と元糺の記事はこちらをご覧下さい。
境内にあるお稲荷さんの記事はこちら。
アクセス
・京福電車
嵐山線(嵐電)蚕の社下車。境内入り口まで徒歩4分。
・京都市営地下鉄
東西線 太秦天神川下車。境内入り口まで徒歩7分。
京都駅から行く場合
歩く距離は少し長くなりますが、地下鉄を乗り継いだほうが便利。
地下鉄烏丸線・京都駅 > 烏丸御池下車 東西線に乗り換え
地下鉄東西線 烏丸御池 > 太秦天神川下車
住所 京都府京都市右京区太秦森ケ東町50-1
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