飛鳥田神社は京都市伏見区にある神社です。
平安時代からつづく式内社のひとつです。
古くは柿本社(かきもとやしろ)とも言われ、旧横大路村の産土神として信仰を集めました。
飛鳥田神社神社
拝殿。
しばらく老朽化が目立っていましたが平成25年に修復されました。
本殿。こちらも平成25年に修復。
一間社流造。現在の社殿がいつ建てられたのかは不明。全体的に太めの木材が使用され、装飾が少なめ。素朴な江戸時代初期の建物の特徴がみられます。江戸時代以来何度も修復されていますが建築時とあまり姿は変わっていないと思います。
御祭神
主祭神
別雷命(わけいかずち のみこと)
雷神。雨を降らせる神様です。
市杵島姫命(いちきしまひめ のみこと)
航海・水の神様。
式内社 鳥田(あすかたの)神社
平安時代に作られた延喜式神名帳に載っている由緒ある神社です。
山城国郡紀伊郡
飛鳥田(あすかたの)神社
式内社・飛鳥田神社の候補には伏見区下鳥羽の安須加多(飛鳥田)神社、伏見区本町の田中神社、横大路天王後町の田中神社があります。
しかし「延喜式神名帳」には「一名(別名)柿本社」。「神名帳頭注」に「横大路村に在り」と書かれています。その条件を満たす当社が式内社 飛鳥田神社の最有力候補といえます。
飛鳥田(あすかた)神社の由緒と歴史
創建年は不明。
飛鳥時代
一説によると、白雉4年(653年)。貴布禰・賀茂両神の神託によって横大路に宮を建て別雷命を勧請しました。「社殿」
平安時代
弘仁7年(816年)。嵯峨天皇の時代。真幡寸神社とともに官社になりました。「日本略記」
延長5年(927年)。延喜式神名帳が完成。山城国郡紀伊郡 飛鳥田(あすかたの)神社、一名柿本神社と記されました。「延喜式神名帳」
当時は柿本神社とも呼ばれていたようです。
室町時代
応永25年(1418年)。社殿を造営しました。
以下「山城志」の記録による。
文明9年(1477年)。社殿を修理しました。
天正4年(1576年)。社殿を修理しました。
文禄5年(1596年)。屋根を葺き替えました。
江戸時代
慶長19年(1614年)。社殿を修理しました。
慶安5年(1652年)。鳥居が奉納されました。鳥居に「嶋潟弁才天御宝前」 とあるので、江戸時代初期までに市杵島姫命・弁才天が合祀されていたようです。
明治以降
平成25年(2013年)。本殿・拝殿・末社を修復しました。
鳥居
本殿の西側にある鳥居。千本通(旧鳥羽街道の方を向いています)。この鳥居は慶安5年(1652年)に建てられました。
鳥居の裏側。風化して読み難いですが「慶安五壬申年 嶋潟弁才天御宝前」と刻まれています。
手水舎
手水舎。
石でできた手水鉢。「嶋潟弁才天 御宝前 明暦三年(1656年) 五月日」と刻まれています。江戸時代初期のものです。
境内の摂社末社
石神社(いわがみしゃ)
御祭神:大巳貴命(おおなむちの みこと)
境内の北東に位置する小さな社。
岩を積み重ねた上に祠があります。
手前には子供乗せたよりも小さな狛犬もいます。
稲荷社
御祭神:倉稲魂神(うかのみたま のかみ)
本殿西に鎮座する稲荷社。朱色が鮮やか。飛鳥田神社の末社の中では一番大きいです。
出雲社
御祭神:大国主神(おおくにぬし のかみ)
末社
左より
春日社
御祭神:春日大神(かすがおおかみ)
貴船社
御祭神:高龗神(たかおかみのかみ)
祇園社
御祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)
八幡社
御祭神:八幡大神(はちまんおおかみ)
式内社の石柱
神社から北西に約300mのところに「式内 飛鳥田神社」の石碑があります。道幅の狭い千本通から神社へとつながる側道の入り口です。
神社の近くを通る府道13号線(旧国道1号線)ではなく道馬場の狭い道路側に石碑があるのか不思議に思うかもしれません。
千本通といわれるこの道路はかつては「鳥羽街道」とも呼ばれました。京都と大坂をつなぐ重要な幹線道路でした。
幕末の鳥羽・伏見の戦いでは鳥羽街道を旧幕府軍が京都を目指して進軍しました。
御旅所
京都市伏見区横大路中ノ庄町にある御旅所。
「式内飛鳥田神社」の石碑から千本通を北に20mの場所にあります。
ちょうちんに葵の紋がありますね。飛鳥田神社の御祭神は別雷命ですし賀茂系の神社のようですね。
鴨川・桂川周辺には別雷命をお祀りする神社が多いです。古代の京都を開拓した賀茂氏の影響が強いのでしょう。
春季例祭 4月20日。
秋季例祭 10月第3日曜日。
飛鳥田神社へのアクセス
鉄道
京阪電鉄 京阪本線・中書島駅より 徒歩約35分。
バス
京都市営バス 府道横大路より 徒歩約5分。
停車路線・20系統
京阪中書島駅から徒歩でもいけますが。
中書島駅より市バス20系統に乗り府道横大路で降りるのが最も早いです。
住所:〒612-8296 京都府京都市伏見区横大路柿ノ本町11
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