琴弾八幡宮は香川県にある神社。
読み方は「ことひきはちまんぐう」
寛永通宝の銭形砂絵がある琴弾公園の隣にある神社です。
琴弾山の山頂にある本宮からは瀬戸内海や観音寺市内が一望できる絶景がみられます。
本殿のすぐ近くには銭形砂絵がみられる展望台があります。
琴弾八幡宮の紹介
琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)の神様
主祭神
・応神天皇(おうじんてんのう)
第16代天皇
・神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇の母
・玉依姫命(たまよりひめ)
初代・神武天皇の母、海神の娘。
琴弾八幡宮の由緒と歴史
創建年は不明。
伝承によると。
大宝3年(703年)3月。琴弾山で法相宗の日証上人が修行していると西の空が暗くなり音がしたので浜に出てみました。すると一隻の舟から琴の音が聞こえました。琴の主は「我は八幡大菩薩なり、都の近くで朝家(朝廷と国)を守護しようと宇佐より来たが、この地の風光があまりにも素晴らしいので去りがたい」と言いました。
上人は驚いて村人とともに舟と琴を山に引き上げて社殿を造りお祀りし、琴弾八幡と名付けました。
同時に神宮寺として宝光院(現在の四国八十八ヶ所霊場69番札所・観音寺)を建てました。当時は神社と寺の境の区別がない神仏習合の寺社でした。
大同2年(807年)。唐から帰国した空海が当社に立ち寄り、琴弾八幡の本地仏・阿弥陀如来を描いて本尊としました。
平安時代末期~鎌倉時代
琴弾八幡宮は源氏の信仰を集めます。
源頼義は前九年の役の前に使者を遣わして願文を治めました。
頼義の子・義家は社殿を造営しました。
元暦2年(1185年)源義経は屋島の戦いのあと、平氏追討を祈願して鳥居と馬を奉納しました。
源頼朝は1千貫文の領地を奉納しました。
鎌倉時代以降
鎌倉~室町時代ごろより広まった四国遍路では琴弾八幡宮は観音寺とともに一山二霊場となりました。
四国遍路が八十八ヶ所として整備されると琴弾八幡宮は68番札所になりました。
明治以降
神仏分離によって琴弾八幡宮と観音寺が分離。琴弾八幡宮にあった阿弥陀如来像を観音寺西金堂に移して68番札所神恵院としました。
名前を「琴弾八幡神社」としました。
戦後。
名前を「琴弾八幡宮」に戻して現在に至ります。
琴弾八幡宮の境内案内
琴弾山の麓にある摂社末社と見どころ
大鳥居
敷地の入り口にある青銅製の大きな鳥居。
神幸殿
琴弾山のふもとにある神幸殿。
礼拝のための施設。
本殿ではありません。
幢中神社
神幸殿の近くにある幢中神社。御祭神は不明。
横にあるのは藤目儀三郎の像
琴弾戎社
商売繁盛の神様。
山之神神社
珍しい鉄製の鳥居。
かなりストレートな名前。
琴弾山そのものをご神体にしていた信仰の名残と考えられます。
慰霊塔
戦争で亡くなった方の魂を鎮める慰霊塔。
庚申神社
祭神:猿田彦神
奥には沢山のお地蔵様があります。
お地蔵様の手前には鶴の像があります。
卵(たぶん)をはさんで向かい合う二羽の鶴。
その鶴を見つめる亀の石像。
亀なのに耳があります。
甲羅のうしろにひげのようなものがついてます。これは甲羅に藻がついた蓑亀を表現しています。藻が生えるくらい長く生きているので蓑亀はとくに長寿の象徴になる縁起のいい亀とされています。
鶴と亀は長寿の縁起のいい生き物なので像があるのでしょう。
本宮に向かう石の大鳥居
本殿に登る入り口にある石造りの鳥居。
承応2年(1653年)。丸亀藩主・山崎治頼が寄進。
山頂にある本宮
拝殿
琴弾山山頂にあるのが本殿と拝殿。
西側から見た本殿と拝殿。
八幡神がお祀りされているのはこちら。
山頂にある摂社
琴弾山山頂の本殿にはいくつかの摂社が隣接しています。
武内神社
祭神:武内宿称(たけのうちのすくね)
神功皇后や応神天皇に仕えた重臣
住吉神社
祭神:底土神、赤土神、石土神
住吉三神のそれぞれ底筒男命、中筒男命、表筒男命にあたります。
若宮神社
若宮とは応神天皇の息子・娘という意味。
祭神:
仁徳天皇(にんとくてんのう、応神天皇の皇子、第16代天皇)
宇治皇子(応神天皇の皇子、菟道稚郎子皇子とも書きます)
宇礼姫(うれひめ、応神天皇の皇女)
久礼姫(くれひめ、応神天皇の皇女)
本宮から望む絶景
琴弾山山頂にある本宮からは観音寺市内を一望できます。
海側を見ると松林の向こうに瀬戸内海が広がります。
本宮の裏手には石段があります。
石段を降りると銭形砂絵が砂絵が見られる展望台はすぐそこです。
琴弾八幡宮へのアクセス
JR四国 予讃線 観音寺駅から車で約7分。
住所:香川県観音寺市八幡町1丁目1
コメント