梅宮大社は京都市右京区にある神社。
子授けと安産の神様として有名です。御祭神の酒解神はお酒の神様です。最近では境内に飼われている猫がかわいいと人気の神社です。
梅宮大社の境内
御祭神
本殿にお祀りされる神様
酒解神(さかとけのかみ)
別名:大山祇神(おおやまつみのかみ)
大若子神(おおわくこのかみ/おおわくごのかみ)
別名:瓊々杵尊(ににぎのみこと)
小若子神(こわくこのかみ/こわくごのかみ)
別名:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、山幸彦)
酒解子神(さかとけこのかみ)
別名:木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
神様の家系図 |
酒解神 |
相殿にお祀りされる神様
・嵯峨天皇(さがてんのう:第52代天皇)
・橘嘉智子(たちばなの かちこ、檀林皇后(だんりんこうごう))
嵯峨天皇の皇后
・仁明天皇(にんみょうてんのう:第54代天皇)
嵯峨天皇と檀林皇后の息子。
・橘清友公(たちばなの きよとも)
檀林皇后の父親。
家系図 |
橘清友公 |
由緒
創建は橘三千代
橘三千代(たちばなの みちよ)が橘氏の氏神として建てた神社です。
橘三千代は奈良時代の宮中で影響力を持っていた女官です。もともとは県犬養道代(あがたのいぬかいの みちよ)といいました。天武天皇から橘姓を与えられ橘姓に改姓しました。そのとき名前も変えたといわれます。
橘三千代は敏達天皇のひ孫・美努王と結婚。葛城王(橘諸兄)、佐為王(橘佐為)、牟漏女王を産みました。美努王と離別したあと藤原不比等と再婚。光明子(光明皇后)・多比能を産みました。三千代は軽皇子の乳母を務めていたことから宮中で大きな影響力がありました。藤原不比等やその子供たち出世したのも三千代のおかげともいわれます。また美努王との間に生まれた葛城王と佐為王は臣籍降下して橘諸兄(たちばなの もろえ)、橘佐為(たちばなの さい)となり、公家の橘氏が始まりました。
現在の場所に移るまで
奈良時代:橘三千代が山城国相楽郡井手庄(京都府綴喜郡井手町付近)にお祀りした。
橘諸兄も氏神として崇拝した。橘氏の別荘があった所。
天平宝字年間(757~765年):光明皇后と牟漏女王が都(平城京)に移した。
時期不明:木津川上流の桛山(かせやま、鹿背山?)に移動。
平安時代:仁明天皇の時(833~850年)。檀林皇后が現在の場所に移した。
境内の見どころ
一ノ鳥居
石づくりの鳥居が見えます。明神鳥居。
「官幣中社 梅宮神社」と書かれた石塔があります。官幣中社は明治時代に決められた社格です。
二ノ鳥居
朱色の明神鳥居。額には「梅宮」と書かれています。
随身門
左右には豊磐間戸命・奇磐間戸命の神像があります。江戸時代の文政13年(1830年)に再建されたもの。楼門の上には沢山の酒樽が積んでいます。
拝殿
現在の建物は 文政11年(1828年)に建てられたもの。奥に本殿があります。
本殿は元禄13年(1700年)に建てられたもの。三間社流造で屋根は檜皮葺。
またげ石
本殿東側にある石。この石をまたぐと子供が授かるといわれます。くわしい由来は不明としながらも檀林皇后がこの石をまたいだことで子供(仁明天皇)が生まれたそうです。通常はこの神域に入ることができず夫婦で祈祷の後に案内して頂く必要があります。
影向石(ようごうせき)
本殿西側の神域にある石。熊野から飛来したカラスが石になったと伝わります。
見切り石とお百度石
お百度参りをするための石です。お百度石と見切り石を何度も往復します。
お百度参りとはお百度石と見切り石を100回往復すると願いが叶うというものです。
摂社末社
若宮社
ご祭神:橘諸兄公(たちばなの もろえこう)。
橘三千代と皇族の美努王の息子。貴族の橘氏の始祖になります。
本殿の右側に鎮座します。
護王社
ご祭神:橘氏公公(たちばなの うじきみこう)、橘逸勢公(たちばなの はやなりこう)
橘氏公は橘氏の私設大学・学館院を造った人。檀林皇后の兄。
橘逸勢は空海・嵯峨天皇とならぶ三筆の一人。
猫
神社の境内には数匹の猫がいます。多くがこの神社で飼われている猫です。社務所の近くには猫のベッドが置いてあってその周辺で猫を見ることができます。自由に見ることはできますが、エサはあげないでください。
梅宮大社の情報
参拝時間:夏季 6:30~18時、冬期 7:00~17:30
住 所 : 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
公式サイト:梅宮大社
アクセス
梅宮大社に行くのは電車が便利です。
駐車場:有り
電車
阪急電車 松尾大社より徒歩10分。
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