牛若丸と天狗の伝説のある鞍馬山。
若き日の源義経(牛若丸・遮那王)が修行した場所として有名です。
本堂に参拝を済ませても、まだまだ
見所はこれからです。
今回は牛若丸(遮那王)の足跡をたどります。
源義経の足跡をたどる
本殿から山門を抜けてます。
山道を進んでいきます。
このあたりから若いころの義経が修行した場所になります。
鞍馬に来るまでの源義経について
牛若丸は源義経の子どものころの名前です。
源義経は源氏の棟梁・源義朝(みなもと よしとも)の九番目の息子です。
義朝は朝廷の争いごとに巻き込まれ
平治の乱(平治元年・1159念)で負けてしまい無念の最期をとげます。
平治の乱で勝ったのは平清盛の側でした。
謀反人となった源義朝の一族は都を追われます。
義朝の三男・頼朝は生き残りましたが、伊豆に流されます。
当時2歳の牛若丸は母・常盤御前や兄・今若(七男)、乙若(八男)と共に大和の国に逃げなければなりませんでした。
やがて常盤御前の母が代わりに捕まったという知らせが届きます。
常盤は母の命を助けるために京に向かいました。
結果的に母も常盤親子も命は助かります。
でも謀反人の息子は無事ではすまされません。
常盤の子供たちは僧になる事になりました。
牛若丸は鞍馬寺に預けられました。
このとき牛若丸は11歳だったといわれています。
今若は醍醐寺で僧となり、全成と名乗ります。
やがて寺を抜け出し頼朝に合流します。
頼朝と合流したのは義経よりも先でした。
頼朝が亡くなるまで源氏のために働きますが、頼朝の息子と対立し暗殺されます。
乙若は園城寺で僧になりました。
義園と名前を変え、頼朝に合流します。
墨俣川の戦いで戦死しました。
常盤御前は一条長成と再婚します。
鞍馬寺に預けられてからは遮那王(しゃなおう)の名前を与えられます。
でも遮那王は自分が源氏の頭領の息子だと知ってしまいます。
父の無念を晴らすために、僧になる事を拒否して武術の修行を行うのでした。
義経公息次ぎの水
しばらく山道を歩くと、水が湧いていました。
「義経公息次ぎの水」といいます。
遮那王(牛若丸)が山で修行していたときにここで水を飲んだという事です。
特に霊水というわけではなく、普通の湧き水です。
でも鞍馬の水だからひよっとすると・・・
でも、水源として管理されているわけでないので免疫力の弱い現代人にはお勧めはしません。
手を洗うことは出来ます。
義経と鞍馬の地との別れの石
しばらく歩くと木の枠で囲まれた石が見えて来ました。
背比べ石と言います。
遮那王がここでの修行や生活を振り返っていたのでしょう。
15歳のころ。山を降りた遮那王は途中で源九郎義経と名前を変え、平泉の奥州藤原氏の所へ向かいます。
実は母・常盤御前の再婚相手の一条長成は奥州藤原氏の親戚でした。
義経が奥州へ行きそこで匿われたのは、母・常盤御前と一条長成の協力があったからなのかもしれません。
一条長成が協力したという証拠はありませんが、そのように妄想するのも楽しいものです。
遮那王、修行の場
さらに山道を進むと、硬い地面に木の根が網の様な模様を作ってます。
「木の根道」です。
このあたりの岩盤が固いために、木が地中に根を張ることができません。そのため地面に根が浮いてしまってます。
足場の悪いこのあたりは遮那王にとって、よい修行の場だったようです。
伝説では遮那王を鍛えたのは鬼一法眼(きいちほうげん、おにいちほうげん)という陰陽師だとか、鞍馬に住む天狗だとか言われてます。
どちらも伝説上の人?なのではっきりとしたことは分かりません。
当時このあたりには修験道の行者や陰陽師がいて修行していたのは間違いありません。
その誰かが遮那王を鍛えたのでしょう。
この先を進むと、
いよいよ魔王尊の降臨したという場所があります。
に続く。
それ以外の鞍馬山関係の記事
アクセス
・電車
京阪電車 終点出町柳駅下車。
叡山電鉄に乗り換え 鞍馬駅下車。
徒歩。
・駐車場はありません。
公式サイト: https://kuramadera.or.jp/
住所 京都市左京区鞍馬本町1074番地
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