不成就日の起源と由来

不成就日

不成就日とは、何をしてもうまくいかない日、願いが叶わない日。縁起の悪い日といわれます。

でもなぜ縁起が悪いのでしょうか?何をするとよくないのでしょうか?

不成就日はカレンダーや暦に載ってる「暦注」の中で、選日(せんじつ)というその日の吉凶を占う項目の一つです。

昔からたくさんの選日がありましたが、現在もいくつかが使われています。不成就日も現在も使われている選日です。

いかにも縁起の悪そうな名前なので気にしてる人もいます。

不成就日の由来と起源を紹介します。

 

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不成就日とはどんな日?

不成就日の読み方は「ふじょうじゅび」。

「ふせいじゅつび」「ふせいしゅくび」や「ふせいじゅび」ではありません。

一切不成就日ともいいます。

不成就日(ふじょうじゅび)とは、何をやってもうまくいかない日とされます。

とくにこの日に何かを始めるのはよくないとされます。

結婚、開店、子供の命名、引っ越し、芸事はじめ、契約、入籍、納車、上棟、地鎮祭などをするとよくないといわれます。

この日に急に何かを始めたり、願い事をするのもよくないとされます。

不成就日の由来

いったい不成就日はいつ誰が決めたのでしょうか?

実はよくわかっていません。

唐の時代に日本に伝わった宣明暦には様々な吉日凶日が書かれていました。平安貴族たちはそんな吉凶日を信じていました。

公式な暦には載ったことがない

でも平安時代の暦には不成就日はありません。朝廷が作った暦には載ったことがありません。幕府が公認した暦に載ったことはありません。

平安時代以降、日本でも様々な吉凶日が生まれました。その中のひとつに不成就日があったようです。

室町時代に幕府の力が弱くなって各地で独自の暦がいくつも作られた時代があります。不成就日はその時代に会津地方の暦に載った事があります。会津暦という暦で東北地方や北関東で使われていました。

江戸幕府が全国の暦を管理するようになると載らなくなりました。天赦、天一天上、天恩などは載っていましたが。不成就日は不採用です。

つまり朝廷や幕府も認めていない。ということは暦を管理していた陰陽寮の陰陽師が信憑性はないと判断した可能性が高いですね。

どうやら民間で活動している占い師や宗教関係者が作ったようです。

幕府公認の暦には載らなくなりましたが。民間業者が発行した不許可の暦には載ってるものもあったようです。

明治時代。政府は様々な吉凶日を迷信だというので暦に載せなくなりました。

戦後。暦の発行は自由になりました。

すると「不成就日」は復活。全国に広まりました。

「不成就日」は昔はあまり知られていない。むしろ現代になって広まった凶日なのです。

占いの秘伝書が元ネタ?

公式な暦にはない。それならどこが出どこかというと。

手がかりは簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)です。

「簠簋内伝」とか「金烏玉兎集」とか呼ばれる占いや暦の解説本です。

安倍晴明が書いたと言われますが、実際には鎌倉時代末期から室町時代に書かれたと考えられるます。安倍晴明は平安時代の人ですから晴明が書いたものではありません。作者は安倍家の子孫とも祇園社の者ともいわれますが謎です。

でも江戸時代までは占いのバイブルとして信じられていました。

その簠簋内伝には「一切不成就日」が載っています。他にも「不◯◯日」というのがいくつも載っています。鎌倉~室町時代の民間の占い師か宗教関係者が作ったのでしょう。

つまりたいした根拠はないのです。

しかも「一切不成就日」は全ての簠簋内伝に載っているわけでもなく、どうやら一部の版にだけ載ってるもの。最初に書かれたころには載ってなくてあとで追加されたもののようです。

それにしても「不成就日」というネーミングはインパクトがあります。すごい大凶日のような名前なので気になります。日本では縁起のいいものより悪いものの方が広まりやすいです。

つまり不成就日は室町時代からありました。でも占い師が顧客相手に教えているだけでほとんど広まっていません。

朝廷や幕府、明治政府の規制がない自由な現代になって「不成就日」は全国に拡散したようです。

不成就日は意味がない

すくなくとも天赦日などの伝統のある吉凶日よりは影響が小さい。といえますね。

不成就日の決め方

では不成就日はどのように決まっているのでしょうか?

不成就日は旧暦で決められています。

旧暦とは月の満ち欠けを基準に決めている暦。1日が新月になり15日が満月になります。

現代の私たちが使っているのはグレゴリオ暦といって太陽の動きをもとに計算された暦です。

江戸時代以前は旧暦を使っていました。基準になる場所(現在は東経135度、江戸時代までは京都)が違うので現在のカレンダーに載ってる旧暦は江戸時代そのままではありませんが。ルールは同じです。

旧暦の
正月 3、11、19、27日
ニ月 2、10、18、26日
三月 1、9、17、25日
四月 4、12、20、28日
五月 5、13、21、29日 
六月 6、14、22、晦日
七月 3、11、19、27日
八月 2、10、18、26日
九月 1、9、17、25日
十月 4、12、20、28日
霜月 5、13、21、29日 
雪月 6、14、22、晦日

正月=一月、霜月=十一月、雪月=十二月
晦日=月の最後の日。旧暦だと29日か30日のどちらかになります。

1月(7月)から6月(12月)に1から6を割り振り、あとは8日ごとに繰り返しやってきます。簡単なしくみです。

普通、吉凶日は陰陽五行説や干支で割り振ることが多いです。でも不成就日はとくにそのようなルールもなく、数字パズルのようにてきとうに決めてる感じです。

たぶんですが。このテキトーさが幕府の暦にも採用されなかった理由かもしれません。信心深い時代の人達からみても根拠がなさすぎると判断されたのでしょう。おそらく陰陽寮の陰陽師も認めてない選日だったでしょうから載るはずがありません。

民間の占い師が作ったものでもそれなりに根拠があれば信じてもいいかなと思うのですが。それもありません。

現在の暦に載っている不成就日は上で紹介した日付を新暦(グレゴリオ暦)に治したものです。

ところが新暦にすると毎年、不成就日になる日が変わります。新暦になってかえってミステリアスな感じがパワーアップしました。

人間は不規則なものに不安感を覚えます。むしろ新暦になって注目を集めた選日かもしれません。

でも仕組みを知っていればどうってことはありません。

気にしない

占いとは可能性です。

この日は吉だから全員いいとか、凶だから全員悪いなんてことはありえません。全員が同じなんてそれこそ非現実的で人間性を無視した話です。

もちろん吉凶日そのものは占いと同じなので科学的根拠はありません。

昔からそのように信じられていられていた。というだけです。

でも昔から信じられていたものにはそれなりの意味はあります。

この日にはこういう意味があるので気をつけましょう。
とか。
ちょっとした心がけの問題です。

人間はなにもないとだらだらと過ごしてしまいがちです。油断をしてしまうこともあるでしょう。

それに江戸時代以前は七曜(日月火水木金土)はありましたが吉凶を占うためのものでした。

日曜日が休みとは決まっていません。

だからたまには気をつけて生活してみる。無茶なことはしない。たまには休息をとってみる。そういうメリハリを付けるための日でした。

なにしろ昔は休日がありませんから1年中働き詰めです。仕事を休むにも理由が必要です。

休むことなく働いていたら倒れてしまいますしミスも多くなります。今日はなんかうまくいかない。そんなときに「今日は日が悪いから」というのは昔の人にとっては納得のいく理由だったのです。

なにしろ不成就日は8日に一度めぐってきます。

今日は凶日だから気をつけよう、ちょっと今日は止めておこう。というのは生活の知恵でした。

これは他の吉日凶日も同じです。人によっては仏滅がそうかもしれませんし別の選日がその役目かもしれません。人それぞれです。

だから現代の私たちは凶日を気にする必要はありません。

 

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