神棚にお祀りする御札(おふだ)はまいとし交換するものといわれます。
でもなぜ交換するのでしょうか?
交換しないとどうなるのでしょうか?
交換しなくていい方法はあるのでしょうか?
御札の交換にまつわる疑問についてお答えします。
御札はなぜ交換しないといけないの?
そもそもなぜ御札(おふだ)は交換するのでしょうか?
御札だけでなくお守りなど。神社で買える物は「授与品」と言います。この授与品は1年が目安で交換といわれます。
・その理由は御札やお守りは時間がたつと瑞々しさが失われる。つまり物に込められた神様の力が失われるからです。
神様のパワーが衰えるのは奇妙に思うかもしれませんが。日本には「ものは衰える」「瑞々しさはいつか衰える」という考え方が根強くあります。
神様への信仰もそうです。だから伊勢神宮では式年遷宮をしていますよね。年月ともに神様の力も弱まるので社を建て替えることで再び神様のパワーを復活させるのです。
他の神社では様々な都合で定期的に建て替えるのは難しいです。重要文化財や国宝に指定されると建て替えが出来ません。だからできるのは改修だけです。でも傷んだところを直せば神様の力も復活するという考え方はあります。
あなたの家庭にある神棚も同じですね。
日本人は新鮮さ、瑞々(みずみず)しさを大切にする民族です。そのためかどうかはわかりませんが。御札やお守りも長期間保つようにはなっていないのです。
交換しない・したくないなら?
でも、
「毎年変えるのは出費がかさむし。なんか交換するのもったいないよね」
「せっかくお金を出して買ったのにずっと使えないなんてはコスパ悪い」
「毎年買わせるなんて神社の陰謀では?」
と思う人もいるかも知れません。そう思うならそう思うのでもかまいません。
あなたにとって「神様や神社はそういうもの」と受け止められているのでしょうから。まずはその気持に気がつくことが大切です。
そして御札を交換する費用を抑えたいというのなら。あなたにとって神様の存在はそのくらいのものだということです。
もしかすると心のなかで止めたいと思っているのかもしれません。それなら無理することはありません。あえてお祀りしないという選択肢もあります。
何を大切にするか、それにどれだけ手間とコストをかけるかはあなたの自由です。もちろんそれによって生まれる結果もあなたのものです。
あなたの心が神様から離れているのなら神様に繋がりにくくなるのも仕方ありません。
交換しないとバチがあたる?
もちろん交換しないとバチがあたるなんてことはありません。
交換しなくてもペナルティはありません。
普通に神社で授与された御札を交換しないからといって祟りやバチが当たるなんてことはありません。
それは心配しなくていいです。
御札を交換する本当の意味
我が家の神棚は三つの御札をお祀りしています。でもそのうちのひとつは私の出身地の産土神の御札を祀っています。毎年故郷に帰れるわけではないので何年も交換していないこともあります。でもそのぶん毎日手を合わせて繋がるように心がけています。
御札は交換しなければみずみずしさは落ちてしまいます。それは仕方ありません。
でもそのぶん強く神様を信じて、こちらから繋がるようにすする。御札の弱まった力を自分の力でカバーしようとしています。もちろんどこまでできるかはわかりません。でも交換できないからといって何もしないわけにはいきません。
もし自分から繋がりを持とうとしなければそこで縁が切れたり薄れてしまう。それは嫌なものです。
だからといってこの方法をお勧めするわけではありません。
ここでお伝えしたいポイントは「あなたが神様を信じる心が大切」だということです。
形ではなく。あなたが心から神様を信じて繋がろうとすることが重要です。
もちろん可能なら神社に行って新しい御札を授かってくることはしたほうがいいですね。
というのも御札を交換する。毎日手を合わせる。水やお米を替える。という行為はあなたが神様に繋がろうと意識するきっかけや意識・習慣をつくることだからです。
人間はやはり肉体を持つ生物ですから、頭で理解してるつもりでも意外と理解していないものです。意識しながら一緒に体を動かして物に触れることで心の奥で実感できるものです。作法とは本来そうしたものです。
御札を替えることであなたの心のなかで新鮮な気持ちで神様に向き合えるようになる。改めて私は神様と繋がりたいと感じる。そのチャンスを作っているのです。
逆にいうと。毎年交換しても信じてなかったり。神様を意識せず、形だけ手を合わせても意味はありません。
御札にははっきりと決まったルールはありません。何もないと迷う人や困る人がいるのでお勧めの方法みたいなのはありますが。絶対その通りにしないといけないなんてことはありません。
大切なのは信じること。
神様につながろうとする機会を自分から作って、意識して行動にうつすことなのです。
コメント