サンタクロースといえば、赤と白の服をきてトナカイの引っ張るソリに乗ってプレゼントをくれるおじいさん。
サンタクロースは聖ニコラスが元になっているといいますが。確かにニコラウスは夜中に密かにプレゼントを贈りました。
でも、ニコラウスは中東(現在のトルコ)の人なので、毛皮の服は着てません。雪の降るなかをソリに乗ってやって来ることもありません。
いつから朱と白の毛皮のイメージが付いていたのでしょう?
どうして今のようなイメージになったのでしょうか?
サンタクロースのイメージができた経緯を紹介します。
サンタクロースは英語でSanta Claus
イギリスではFataher Christmas(ファーザー・クリスマス)といいます。
アメリカではSanta Claus(セント・クロース)といいます。
どちらも英語ですが国によって呼び方が違うのです。アメリカ式の名前が日本に伝わって「サンタクロース」になりました。現在では世界的にも「Santa Claus」が有名ですね。
日本語では「サンタクロース」といいます。
「サンタク・ロース」ではありません。「サンタ・クロース」です。
区切るのはタとクの間です。
なぜファーザー・クリスマスがサンタクロースになったのでしょうか?
それはキリスト教の聖人ニコラウスの伝説がもとになっています。
聖ニコラウスの伝説
聖ニコラウスは3~4世紀に実在したキリスト教の司祭。ミュラ(ミラ)のニコラオスとも呼ばれます。
聖人崇拝のあるキリスト教では、処女・売春婦・悔いをあらためた泥棒・子供・商人・船乗りの守護者とされます。
ローマ帝国の属州リュキア出身(現在のトルコアンタルヤ県とムーラ県のあたり)。
両親や親戚は信仰心の厚いキリスト教徒でした。ニコラウスは家族の影響で幼い頃から教会で働き司祭になりました。歴史上のニコラウスが何をしたかはよく分かっていません。さまざまな貧しい人や冤罪の人々を助けたといわれます。
言い伝えでは、343年12月6日(享年73)に死亡しました。聖人崇拝のあるキリスト教では12月6日がニコラウスの日とされます。
死後200年が過ぎた7世紀には伝説的な人物になりました。はじめは東方教会(正教会)やイタリアで崇拝されていました。やがて西方教会(カトリック)にも伝わり、ヨーロッパでは有名な聖人になりました。12月6日ニコラウスの日はお祭りになりました。
ニコラウスの秘密の贈り物
ニコラウスの伝説で最も有名なエピソードを紹介します。
ミュラ(現在のトルコ・アンタルヤ県)に落ちぶれた貴族(富豪)がいました。彼には3人の娘がいましたが、結婚のための持参金を用意することができません。
このまま娘が結婚できず就職もできない場合は売春婦になるしかありません。そういう時代でした。
その話を聞いたニコラウスは援助しようと思いましたが、表立って施しをすれば彼の名誉を傷つけるかもしれません。そこで夜中に家に行って金貨で満たされた財布を窓から投げ入れました。そのお金で長女を嫁がせることができました。
ニコラウスは次女のときも同じように窓から金貨の入った袋を投げ入れました。
「慈悲深い神の使いが来たに違いない」と思った父親は夜遅くまで寝ずにまっていました。
ニコラウスは3人めの娘のためにお金を投げ入れに来ました。父親はニコラウスを発見して膝まずいて感謝しました。
伝説の別のバージョンでは。3人めの娘のとき投げ入れた金貨が干してあった靴下に入り。ニコラウスが思わず声をあげたので父親に気づかれた。といわれます。
靴下にプレゼントを入れる起源とされます。
ニコラウスの秘密の贈り物はヨーロッパでは人気のあるモチーフになりました。ニコラウスがプレゼントをする聖人とされることもあります。
ポイント:
・キリスト教の聖ニコラウスは貧しい人に密かに贈り物をしていた。
・命日の12月6日は聖ニコラウスの日。
・キリスト教圏では聖ニコラウスの日を祝うお祭りが行われた。
毛皮を来た陽気なおじいさん:イギリスのファーザー・クリスマス
イギリスでは古くから”Yule”(ユール)という冬至にお祭り騒ぎする習慣がありました。ゲルマン系の民族が行っていたお祭りなので北欧やドイツにも似たような習慣があります。
1年で最も日照時間が短い「冬至」にお祭りをして衰えた太陽を復活させようとしたり、復活した太陽の誕生を祝うお祭りは古くから世界各地にあります。
ユールは子どもたちは関係なく。大人たちが飲んで騒ぐパーティーのようなものでした。
キリスト教が普及するとユールはクリスマスに置き換わっていきます。
17世紀にイギリスでピューリタン革命が起きました。過激なピューリタンは異教由来の伝統や聖人崇拝を禁止しました。
このときクリスマスを残そうとした人たちがクリスマスを擬人化したキャラクターを考案。劇に登場させました。最初は”Sir Christmas”(サー クリスマス)や”Lord Christmas”(ロード クリスマス)と呼ばれていましたが。”Fataher Christmas”(ファーザー クリスマス)に統一されます。ファーザー・クリスマスは劇の中で伝統文化の大切さを訴えるキャラクターでした。
ファーザー・クリスマスは毛皮で裏打ちされたガウンに帽子、白い髭を伸ばしたおじいさんでした。ガウンの色は赤か緑でした。
18世紀。ピューリタン革命が失敗し、伝統的な行事が復活しました。ファーザー・クリスマスの性格は変化し様々に描かれるようになりました。
19世紀には伝統の復活を喜ぶ陽気なキャラクターになりました。”Old Christmas”(オールドクリスマス)と呼ばれることもありました。
ビクトリア朝時代のクリスマスは家庭で家族との団らんを楽しむホームパーティーのようになります。パーティーでは子どもたちにプレゼントを贈るようになりました。
ポイント:
・ファーザー・クリスマスはイギリスでクリスマスを擬人化したキャラクター。
・毛皮に裏打ちされたガウンを着て帽子をかぶっている。
・ガウンの色は赤か緑が多い。
・19世紀には長い髭をたくわえた陽気なおじいさんとして描かれた。
子供にプレゼンを配る聖人:オランダのシンタクラース
贈り物をする聖人の話がサンタクロースになったのはアメリカです。
17世紀。オランダ移民はマンハッタン島を開拓。ニーウ・アムステルダムと名付けました。このとき母国の伝統 Sint Nicholas(シンタクラース)をもちこみした。
オランダの子供達の間では聖ニコラスの祝日「12月6日」の前夜にシンタクラース(聖ニコラウス)がやって来くると信じられていました。
シンタクラースは白く長いひげをもち、赤い帽子をかぶり白い司教服を着たおじいさんです。赤と白のイメージカラーは現在のサンタクロースと同じですが、明らかに「キリスト教の聖人」の姿をしています。聖人なので陽気なキャラではありません。
白い馬に乗り、従者のズワルトピートをひきつれてています。シンタクラースは子どもたちの行いを調べたノート(シンタクラースの書)をもち、善い行いをした子供にはお菓子を与えます。
でも、悪い子供はズワルトピートが棒で叩きます。
ズワルトピートは黒い顔をしているとされるので黒人のように表現されることもあります。でもネグロイド(黒人)ではなく北アフリカにいたムーア人のイメージが元になったようです。ムーア人はコーカソイド(白人)ですが、住んでる環境の影響やネグロイドとの混血が進みヨーロッパの人々からみて肌の色が濃いので黒い人と表現されたようです。
シンタクラースが連れているのは他の従者だったりクランプスという魔物だったりと地域によって様々です。
アメリカにシンタクラースを伝えたのはニーウ・アムステルダム(マンハッタン島)を開拓したオランダ人でした。
しかしその後、マンハッタンはイギリス人開拓者のものになりシンタクラースの習慣は廃れます。でも一部のイギリス系移民の間には興味を持つ人もいました。
オランダ語のSint Nicholas(シンタクラース)は英語のSanta Claus(セント・クロース)に変化しました。
ポイント:
・シンタクラースはオランダの伝統行事に登場する聖人。
・聖ニコラウスがモデル。
・12月6日に良い行いをする子供にお菓子を配る。
・赤い帽子と白い司祭服を着ている。
・白い馬に乗り、従者をひきつれている。
・従者は悪い子にお仕置きする。
19世紀。サンタクロースがやって来た
喜びのオールドサンタクロース
1821年。アメリカで「OldSanteclauswith Much Delight」(喜びの古いサンタクロース)という匿名で書かれた絵本が発売されました。
トナカイの引くソリに乗ったサンタクロースがセント・ニコラスの祝日12月6日の前夜にやって来て良い子にプレゼントを与えます。
悪い子には黒くて長い白樺の枝を残していきます。白樺の枝は親が子供を叱るときのムチの役目をしていたからです。
この本の挿絵ではサンタクロースは赤いローブ(服)を来ていました。ソリをひくトナカイは1頭だけです。
1823年。アメリカの聖書学者クレメント・クラークが”A Visit from St. Nicholas”(セント・ニコラスの訪問)を発表。書き出しの内容から “The Night Before Christmas”(クリスマスの前夜)ともいわれます。
聖書学者の書いた本らしく「サンタクロース」ではなく聖人の英語表記 St. Nicholas(セント・ニコラス)になっています。
内容はこちらもセント・ニコラスのおじいさんが良い子にプレゼントをもってくる。というストーリー。
セント・ニコラスは白い髭をはやし丸々と太った善良なおじいさん。8頭のトナカイが引く玩具をいっぱい積んだソリに載って雪の上をやってきます。プレゼントの袋の入った袋をもって煙突から家に入り、靴下にプレゼントを入れて帰るのです。
でもセント・ニコラスは「毛皮の服」を着ているとは書かれていますが、「赤い服」とは書かれていません。
この時代、セント・ニコラスやファーザー・クリスマスの衣装の色はとくに決まっていません。セント・ニコラスは白の司教服、ファーザー・クリスマスも赤や緑が多いですが他にも青や茶色もありました。
19世紀アメリカで登場したサンタクロースはイギリスのファーザークリスマス(オールドクリスマス)と、オランダ移民が持ち込んだシンタクラースが合体したようなキャラクターになりました。
ビジュアル的にはファーザー・クリスマス。行いはシンタクラースの影響が強いです。
ポイント:
・サンタクロースは子供にプレゼントを送りにやって来る。
・サンタクロースは白い髭の陽気なおじいさん。
・セント・ニコラスはトナカイの引くソリに乗っている。
20世紀 商業主義の中で赤と白のイメージが完成
「セント・ニコラスの訪問」の後も様々なサンタクロースグッズが発売されます。でもサンタクロースのイメージはまだ決まっていませんでした。
サンタクロースが一般に広まるきっかけのひとつが生まれます。
1902年に発表されたライマン・フランク・ボームが書いた児童文学”The Life and Adventures of Santa Claus”「サンタクロースの人生と冒険」です。
サンタクロースの少年時代から始まり。冒険をとおして世界の人々にプレゼントを送る姿が描かれます。この本は大ヒットして映画化もされました。
その後も世界各地で何度も映像化されました。
日本でも「少年サンタの大冒険」というタイトルでアニメが作られました。
「サンタクロースといえば赤と白」が決まったのもアメリカ。
20世紀。アメリカでは商工業が発展。
伝統的な習慣にも商業化の影響が出ます。
クリスマスに贈るプレゼントはお店で買える物になり。
商売人にとってはクリスマスは最大の利益が見込めるイベントになりました。
1931年。飲料水メーカーの「コカ・コーラ社」がクリスマスのCMにサンタクロースを使用。赤と白の服を着た現在のサンタクロースのイメージが登場しました。こ
コカコーラの赤と白のブランドイメージを広めるため、サンタクロースのデザインが作られたという都市伝説があります。
ところが1940年代にはライバル会社の「ペプシ」も似たようなサンタクロースのイメージを使っていました。
コカ・コーラは最初の赤と白のサンタでもありません。飲料水メーカーの「ホワイトロックビバレッジ」が先に赤と白のサンタを使っていました。
ホワイトロックビバレッジは、1915年にミネラルウォーターの宣伝に赤と白のサンタクロースを宣伝に使っていました。1920年代にも使っていました。
赤と白のサンタクロースはコカ・コーラだけの影響ではありません。
ファーザー・クリスマスとシンタクラースが合体したイメージの中から生まれたものでした。
でもメーカーの販売合戦の中で、赤と白のサンタのイメージは人々に広まり。
サンタといえば赤と白が決定したのです。
ポイント:
・児童文学「サンタクロースの人生と冒険」でサンタクロースが人気者に。
・20世紀に入りメーカーが赤と白のサンタクロースをCMに採用。
・宣伝のイメージが印象に残りサンタクロースといえば赤と白が決まる。
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