稲荷神はたたるの嘘

お稲荷狐

稲荷神は祟るといわれることがあります。最近はスピリチュアルなものを売り物にする人たちがテレビやネットでさまざまな発言をしています。そのせいで、ウソか本当かわからない情報も飛び交っています。

そんな怪しげな情報に「稲荷神は祟る」というものがあります。

さらには怪しげな宗教団体や、霊能者が金儲けのために狐のたたりを持ち出しています。それらはただの霊感商法なんです。

でも真に受ける人もいるみたいなんですね。

ネットを見ていると「お稲荷さんは祟るからイヤです」なんて書いてあるブログを見かけることがあるんですね。

参考記事:動物神は見返りを求めるのウソ

でも書いたように、お稲荷さんだけが祟るなんてのは嘘なんです。

そんなに怖い神様なら日本中にお稲荷さんがあるわけありません。
ついでに書くと日本の神様はほとんどが祟る神様です。寛大なようでいて怒らせると怖いのです。神様は無条件で助けてくれるなんていうのは幻に過ぎません。

お稲荷じゃなくても礼儀を守らない人には神様は助けてくれませんし、もしかしたら罰をあたえるかもしれません。

参考記事:お礼まいりはなぜするの?

なのに、なんでお稲荷さんだけが狙い撃ちされるように悪い噂をたてられるのでしょうか。

それには人間の勝手な欲望があったのです。

 

目次

なぜ稲荷神はたたるといわれたのか

 

理由1:わがままな人間の責任転嫁

古代の人は神の力を借りるには、それなりの見返りがあると考えていました。神道にもその考えは受け継がれています。だからお礼参りは必要です。

お稲荷さんは商売の神様として有名になりました。
現代でも人気があってたくさんの参拝者がいます。たくさんの人がいるということは体験談を語る人も多いということです。

お稲荷さんにはお金儲けが目当ての人もたくさん行っています。お金儲けじたいは悪いことではありません。お金儲け=悪というのは儒教の影響です。

でも拝金主義の人は自分の利益だけを求める傾向があります。人への感謝や思いやりがおろそかになりがちです。

しかも普段から信仰心があるわけでもなく、ご利益があるからという理由だけで行くのです。そんな人は、いちいち神様の名前を覚えるはずがありません。面会する相手の名前も知らずに勝手なお願いばかりしている人です。

稲荷=狐と勘違いしていても不思議ではありません。

そういう人はもちろんお礼参りには行きません。

そんな人が参拝したあとに一時的に金儲けができてたとしましょう。

そのあと大損したり、事業に失敗したとします。

そのとき、どう考えるでしょうか?

動物(=下等)の神様だから、分け前が欲しくて俺の儲けを奪った。

と考えるのではないでしょうか。

自分の判断の誤りや、人間関係のもつれから損をしたとしても。責任を他に見つけるはずです。

そんな事例をいくつか見てきた霊能者の中には「やはり動物霊は見返りを求める」と考える人がいるかもしれません。

でもまあ「稲荷=動物霊」と考えてる時点でその霊能者は失格です。

霊能者の中には金持ちを相手に稼いでる人もいます。お客さんに気にいられるために、「あなたは悪くないです。悪いのはお稲荷様なのです」といって責任転嫁することがあるようなんですね。

 

理由2:荼枳尼天・民間信仰の影響

明治以前は神仏習合の考え方がありました。稲荷神(宇迦之御魂神・倉稲魂命)と荼枳尼天は同じものだと考えられていました。稲荷社に荼枳尼天が祀られていたり、寺院に赤い鳥居が立てられ稲荷神が祀られていました。

ダキニ天というのは、豊川稲荷や最上稲荷のご本尊。つまりは、お稲荷様なんですね。

神仏習合の時代。ダキニ天と宇迦之御魂はおなじものだと考えられました。

両方とも狐を眷属に持つ女神だからです。宇迦之御魂をおじいさんの姿で描いている絵もありますが、禁欲的な仏教や儒教の影響で女性的なものが消されていったからです。お稲荷様はもともとは女神なんですね。

明治以降、神仏が分離されると。神社では荼枳尼天は祀らなくなりました。寺院では荼枳尼天を祀っているところがあります。豊川稲荷(妙厳寺)や最上稲荷(妙教寺)が有名です。

密教に荼枳尼(ダキニ)修法がありました。
荼枳尼という夜叉女を祀る呪術です。後に荼枳尼は白狐に乗った天女の姿をしていると考えられるようになり、荼枳尼天とよばれるようになります。荼枳尼天は稲荷神と同じく狐を眷属(神の使い)としていました。

非常に強力な呪術なのですが自分の命と引き換えに行う呪術といわれました。一度祀ったら辞めることができません。ずっと祀り続けないと祀った人に不幸がおとずれるのです。だから、中世には外法として嫌われることもありました。

今でも「お稲荷様を一度祀るとやめられない」というのは、外法と間違っているのかもしれません。もちろん現代の寺院では外法は行われていないはずです。

でも、荼枳尼修法は武士の世の中では敵を退ける神として信仰されました。

江戸時代になると、悪霊退散、病気を治したり、福をもたらす神として信仰されるようになりました。身分に関係なく誰の願いでもかなえてくれると信じられていたので、遊女や差別を受けている人にも人気がありました。

命を奪う神としての性格や、悪霊を退けるなら逆に取り付かせることもできるだろうという考え方や、身分の低い人たちが信仰する神といった差別的な要素が混ざり合って、稲荷は祟りをおこすという誤解が広まったと考えられます。

江戸時代になると稲荷信仰は庶民の間にも広まり爆発的に増えていきます。村の祠に稲荷神が祀られるようになりました。そこには神の使いとして狐の像が置かれます。伏見稲荷や稲荷系の神社仏閣とは関係なく、地域の霊能者が勝手に作った祠もあるようです。そういったものも稲荷は怪しいという誤解を広める原因かもしれません。

すると、詳しく知らない人たちの中に飾ってある狐が神様だと信じ込む人が出て来ました。

こうして、狐=稲荷=祟り神の誤解が広まったと考えられます。

 

どんな神様でもいいかげんにあつかうと祟る

 

どんな神様でも粗末にあつかってはいけません。狐だからたたるというわけではないんです。どんな神様も祟るときは祟ります。

稲荷神が祟るというのは、傲慢になった人間の考えることなんですね。

人間の場合だって結婚した相手をないがしろにしたら怒るのは当たり前ですよね。神様も同じなのです。

日本の神様は心はです。でも一度怒らせると怖いです。人付き合いと同じように失礼のないようにお参りしましょうね。

神様は目に見えません。だから我々もついおろそかにしてしまうかもしれません。なにかよくないことがおきるというのはメッセージを出しているのかも知れませんよ。

 

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